大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

中津簡易裁判所 昭和40年(ろ)1号 判決

被告人 占部徳美

昭四・二・一四生 遊技場経営

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は昭和三七年一二月一〇日午後三時一〇分ごろ、中津市今津町植野の国道において法定の最高速度毎時六〇キロメートルをこえる毎時一〇三キロメートルの速度で普通乗用自動車を運転したものである。」というのである。

被告人が右公訴事実記載の日時場所において普通乗用自動車を運転したこと、その際速度違反の取締に従事していた巡査に停止を命じられて取調べを受けたことは被告人も認めるが、その際法定の最高速度をこえて運転したという事実はこれを否定している。

証人司城幹男、同福田俊文の当公廷における各供述、証人衛藤孝行に対する尋問調書及び司法巡査作成の交通違反現認報告書中違反を確認した状況欄の記載によれば、本件の速度違反の取締りはあらかじめ速度の測定開始点(A点)から二〇〇米の地点を測定終点(B点)とし、それから二〇〇米の地点を違反車の停止指示位置(C点)とし、A点、B点、C点間の通信連絡のためノーベルフオンを設置し、A点の測定者は被疑車輛の前輪の接地部がA点に達した時ノーベルフオンによつてB点の測定者に合図し、B点の測定者は右合図と同時にストツプウオツチの始動ボタンを押し、被疑車輛の前輪の接地部がB点に達したときストツプウオツチの停止ボタンを押して指示針を確認し、その秒数をC点の勤務者に連絡し、C点の停止係が、違反車の停止を命ずるという方法によつて行われたものであるが、前記の交通違反現認報告書中の違反を確認した状況欄には被告人の運転した自動車の速度を測定しストツプウオツチの指示針を確認したところ七秒を示し時速に換算すると一〇三粁であるのを確認した旨の記載があり、右記載部分には司法巡査司城幹男の記名押印があり、証人司城幹男は右書面は真正に作成された旨供述するので、一応前記の公訴事実を認めるに足りる証拠としては十分であるように考えられる。

しかし一方被告人は、本件当時運転していた自動車は毎時一〇〇粁というような速度で運転することは不可能であり、本件取締を受けた当時も、法定の速度の範囲で運転していた旨供述している。

ところで公訴事実の毎時一〇三粁の速度と法定の最高速度毎時六〇粁の速度との差は極めて大きく、たとえ速度計等による測定に基かなくても、多少の運転経験を有する者であればエンジンの音やその他の障害音或は外景の移動等の情況から感覚的にその差異を判別することは可能であると考えられる。したがつて被告人の供述が速度計等に現われた結果に基くものではないからという理由で直ちに虚偽の供述であるということはできない。かえつて被告人の当公廷における真摯な供述態度等よりすれば被告人の供述内容は相当に信頼し得るものと考えられる。

とくに証人伊藤寿夫、同占部弘文、同司城幹男の当公廷における供述、証人占部京子に対する尋問調書及び被告人の当公廷における供述並びに司法巡査作成の交通違反現認報告書によれば、被告人は昭和三七年七月五日普通自動車の運転免許を受け、同年一〇月ごろ本件の普通乗用自動車ニツサンブルーバード一九六〇年型を買い受けたこと、同種の新車であれば最高速度として毎時一一〇粁位までは可能であるが、本件自動車は約二年位タクシーとして使用されたうえ、営業用としては廃車になつたもので、その性能は新車に比し可成り落ちていたこと、運送会社の運転手と自動車整備工場の工員として勤務した経験のある占部弘文が、被告人が本件取締りを受けた約一週間位ののち、コンクリート舖装の滑走路で速度のテストをした結果速度計は最高の速度として毎時八〇粁位を示したことが認められるので、被告人が本件当時毎時一〇三粁の速度で運転することが物理的或は技術的に可能であつたかどうか疑わしく、また被告人は当時別府市から肩書の自宅に帰る途中で助手席に妻を同乗させていたことも認められるので、これらの事実からすれば被告人の前記の供述は信用するに足りる相当の理由があるものと考えられ、一概にこれを排斥することはできない。

それでは毎時六〇粁の自動車は二〇〇米には一二秒を要するので前記の測定結果との間には五秒の差があることになるが、本件の測定にこのような誤りの生ずる余地があつたかどうかを考えることとする。

まず本件の測定に使用したストツプウオツチが正確であつたことは証人司城幹男の当公廷における供述及び時計商村上龍紀作成のこれを検査した結果を記載した書面によつて認められる。

次に測定方法について考えると、A点の測定者については被疑車輛と認めてB地点の測定者に合図を送るだけであるから極めて簡単で、殆んど誤りを生ずるようなことは考えられないが、B点の測定者についてはA点からの合図に従いストツプウオツチの始動ボタンを押すとき及び被疑車輛がB点に達した際に停止ボタンを押すときに誤つて押すか、或はストツプウオツチの指針を見間違うということが考えられるし、C点の勤務者についてみるとB点から連絡を受ける秒数の聞き違いということが考えられる。しかし当時B点の測定者であつた証人司城幹男及びC点の勤務者であつた証人福田俊文の当公廷における供述によれば右のような誤りは一応なかつたものと認められる。もつとも右証人の供述によれば毎時一〇三粁の違反車というのは同人らがこれまでに取締りをしたもののうちでは最高のものであるが、証人衛藤孝行に対する尋問調書によれば本件交通取締りは約二時間位の間に三〇台位を測定し、そのうち検挙したものが一〇台位であるというのであり、当時A地点に勤務し、速度違反の車輛であるかどうかに最も注意していた同人が、毎時一〇三粁というかつて経験したこともない速度の自動車が当時A点を通過したかどうかについて記憶がない旨供述していることからすれば、前記測定の方法に絶対に誤りがなかつたといえるか疑問である。

さらに当裁判所の検証調書によればA点とB点の間は直線の平担な道路で相互に見とおすことができるが、B点とC点の中間附近からゆるやかな下り勾配となつているので、C点からはB点方向約一〇〇米位を見とおすことができるだけであり、A点とB点間を進行してくる自動車は現認することはできない情況にある。したがつてA点とB点間で測定対象になる被疑車輛の特定が十分でないと、C点の停止係は被疑車輛と相前後してくる他の車輛を測定された被疑車輛であると誤認して停車を命ずるという誤りを犯す虞れがある。そしてこの点について被告人はC点に達するまでに被告人運転の自動車に良く似た自動車が追越していつた旨供述する。もつとも証人司城幹男、同福田俊文、同難波貴史はこれと異る趣旨の供述をするが、右証人らは本件当時の取締の方法についての一般的な事実と測定の結果が毎時一〇三粁であつたという点については確かな供述をするが、被告人を取締つた際の具体的な情況についてはあまり確かな記憶がないようである。とくにB点の測定者である証人司城幹男はC点までに被告人運転の自動車を追越した自動車であつたかどうか記憶がないと供述しているし、また、C点の勤務者である証人福田俊文は被告人に停止を命じたのは難波巡査であると誤つた供述をし、その他の状況は殆んど記憶していないと供述しており、さらに同じくC点の勤務者である証人難波貴史も被告人についての記憶はないと供述している。とすれば右証人らの供述をとつて被告人の前記供述を否定することはできない。そしてまたA点、B点の勤務者は前記の毎時一〇三粁の測定結果の出た被疑車輛を特定するのに具体的にいかなる特徴をとらえて連絡したかについて確かな供述がない。すなわち、同証人らの供述では前記の被疑車輛と他の車輛を誤認する虞れがあるという点は解消することができない。

勿論通常の場合は以上のような測定について誤りの生ずる一般的な可能性が全然ないことまで立証する必要はないが、本件においては前記のように被告人の供述にも信用すべき相当の理由があるので、本件の測定の結果に誤りの生ずる余地がないとはいえないとすれば、やはり右測定の結果には合理的な疑いがあるものといわねばならない。

したがつて本件公訴事実は犯罪の証明がないものというべく刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。

なお本件のような速度違反で取締りを受けた場合、被疑者は殆んど反証の余地がないのが普通であるが取締官としては被疑者の弁解が一概に排斥できないときはその場で、これについての証拠を確保すべきであると考える。本件においても被告人は取調官に対し本件自動車の性能からして毎時一〇〇粁などという速度はだせない旨告げて、速度のテストを要求しているのに拘らず、これについて何らの処置も講じておらず、しかも二年余を経て起訴されるということはこの種の事案としては殆んど例のないことであり、これが被告人の反証を困難ならしめることになつたことを附言する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 福嶋登)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例